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真夏の免罪符(蔵謙)

 かんかん照り、気温は36度って。なんやそれ運動していい気温じゃないっちゅー話や。実際のところ最近は30度越えがあたりまえで、街中にある四天宝寺は光化学スモッグのせいで練習が中断することもあった。むわりとした重たい熱気にまるで蜃気楼のようにコートがゆらゆらと揺れて見える。毎年夏の練習はこんなものだから、コートに入らない部員達はできるだけ日陰で練習するようにしている。水分補給は頻繁に、気持ち悪く感じたらすぐに報告。しかし徹底した熱中症対策を行っていても倒れるものは倒れる。特に一年生は初めての夏だ。ただでさえツラい練習にこの暑さが加わるためリタイアする奴も出てくる。それはもう仕方ない話だった。実際何度やってもこの暑さには慣れない。好きな奴はきっと相当なドMっちゅー話やで。

「おい、次お前」
「おう」

朦朧としてると隣のユウジに声を掛けられた。試合形式の練習を終えたユウジは全身から湯気がたっており今にもぶっ倒れそうだ。普段はあまり汗のかかないユウジもこの時期だけは流石に玉の汗をかく。

「今日の白石やばいで」
「なんでや」
「やりゃわかるわ」

そのままユウジはタオルを手にふらふらと立ち去った。きっと頭から水を被りに行くのだろう。それよりも何やねん、白石がヤバいって。白石が頭おかしいのは今に始まったことではないが、ユウジがわざわざ言うなら相当だ。あーイヤやなぁ、と思いながら熱気で揺れるコートに向かった。

「よっしゃ次は謙也か!行くで!」
「…なんっでそんな元気やねん。化け物か」

コートの中の白石は目を爛々と輝かせていて、とにかくすこぶるテンションが高かった。キラキラとした汗(憎らしいことに白石だとなぜか汗もキラキラしてるように見える。)を髪から撒き散らして、絶頂や~と叫んでいる。よくこんな影一つない暑いコートにずっといて元気やな。ユウジがヤバい言うてたのがわかるわ。

「ほな行くで!」

白石のサーブで練習が始まる。試合形式と言っても、この練習はサーブから始まるラリーの練習でたとえフォルトであっても打ち合いが始まる。まぁ、白石が外すことはありえへんのやけど。
白石の手加減なしのボールを必死に追いかける。普段よりもボールが重くて速く感じるのは練習疲れとこの暑さのせいだろう。ラケットが手汗で滑らないようにしっかり握って打ち返す。白石は嫌みなくらい正確なショットを返すが、今日はいつも以上に鋭い。ぶわわっと全身から汗が吹き出す。

「ん~っ!そんなんじゃあかん!あかんでぇ謙也!もっとスタミナつけないといかんなぁ」

うっさいし、うざい。なんや無駄に左右に走らせおって!スタミナスタミナって、俺だって毎朝走り込みしてるんや!なめんなっちゅーの!
思いっきりダッシュをしてボールを追いかける。低めの打球をこれでもかってくらい強く打つ。疲れて視界が狭い。息がくるしい。でも白石の高笑いが聞こえてくるようで心底腹立つから諦めはせん。黄色いボールを追いかけて返す。打つ。走る。

終わった頃には息もできへんくらいバテバテになっていた。ありがとうございましたという言葉も「…ざ…っした」みたいにもはや全く喋れていない。

「ナイスファイトや謙也」

爽やかに声をかける白石もかなり息が上がっていたので少しだけ溜飲が下がった。これで相手の息も乱せなかったらほんま情けない話だからな。
差し出されたペットボトルの水を一気にあおりついでに頭にもぶっかける。あー冷たく気持ちいい。頭を振って「おおきに」と空のペットボトルを返すと白石に「なんや犬みたいだな」と笑われた。あとペットボトルは自分で捨てろやって、体力まだあるんにケチな奴や。


 息もだいぶ落ち着いて木陰で交替までのしばしの休憩。コートには小石川と小春が入っている。隣は千歳と金ちゃん。残りのコートはその他二年生が使い、一年生は球拾いにかけ声と素振り。全員の熱気がもくもくと立ち込める。夏やなぁ、と思った。青空に立ち上る白い入道雲みたいに全員どんどん大きく成長していく季節だ。

「お疲れさん」
「白石…」

隣にどさりと座る気配がする。一度着替えたらしく、パリッとしたユニホームを着た白石がそこにいた。汗はまだしっとりと肌を濡らしていたが、呼吸はもう乱れていないようだった。

「今日は随分テンション高いけど何かあったん」
「え、俺そない高かった?」
「おん」

ほんま?と苦笑いした白石はパタパタとうちわを扇ぐ。あーええな、うちわ。と心の中で思ったら白石がパタパタとこちらも扇いでくれた。単純だけどこういう時にええ奴やな、て感心してしまう。

「涼し?」
「おん、おおきに。今日の暑さはたまらんわ」
「暑いよなぁ」

そう言ったわりに白石は随分楽しそうだ。鼻歌でも歌い出しそうなほどに。そんなに楽しそうだとこっちも意味もなく愉快になってしまうわ。

「白石アホ面やで」
「バテバテの謙也に言われたくないですー」
「こんくらいでバテへんわ」
「よく言うわ」

ぽんぽんと続けられるくだらない会話に白石は楽しそうにアハハ、と声を上げた。俺のいっちゃん好きな顔だ。いつものうっすらと口元に浮かべる笑みじゃない、屈託のない笑顔。木漏れ日を受けて白い歯がキラリと光る。何となくええなぁって思ってしまった。白石の隣にいられて良かったなぁってな。なんてまぁ、恥ずかしいこっちゃ。

 なんとなく無言になりそのままコートを見ていると、遠くで高くジャンプをする金ちゃんの頭が見えた。ドーンと轟音が響いて土埃がもくもくと立ち上がる。休憩時間ももう終わりやな、とのんきに思う。火照りはもうだいぶ落ち着いて疲れも取れたが、日差しはまだまだ厳しい。それでもまあいいと思える事が自分でも不思議だった。

「あんな、夏ってめっちゃファイトが湧くねん。
暑いけど、汗かいてるとテンションが上がってく。
皆死にそうになりながら汗かいてドロドロになって、そんでもって1つになってお天道さんより高いとこ行こうとする感じ」

白石はスッと立ち上がってコートを見たままそう言った。多分、最初の質問の答えなのだろう。逆光で表情はよく見えなかったけど、きっと白石は笑っていた。

「何や急に」
「聞いてきたのそっちやろ」
「まぁな。白石がごっつMっちゅー事はわかったわ」
「何でそうなるねん!」

ツッコミを入れてふてくされる白石に思わず笑い声をあげると睨まれた。だってその答え、びっくりするほど俺の中にすとんとはまり込んだんや。こんな暑くてツライのに楽しいと思う理由はそれやったんやな。

「なぁ謙也は夏好き?」
「当たり前っちゅー話や」

差し出された手を取って立ち上がる。木陰から出ると途端にむっとした暑さが襲ってきた。暑くて暑くて頭の中がからっぽになる。馬鹿みたいに夏だった。

「暑いなぁ」
「夏やからな」

まだ繋がれたままの手はしっとりと汗ばんでいて、溶けてしまいそうなほど熱かった。ニッと笑って、わざと恋人繋ぎをすると白石は驚いてそれからニヤッと笑った。夏だから許される戯れだ。ユウジにお前ら熱さで頭おかしくなったんかと突っ込まれても、財前にキモイと言われても全部笑い飛ばせるささやかな遊びだった。本当は心臓が震えるほどドキドキしてることも、白石の熱い手をずっと握っていたいと思っていることも、全て暑さのせいにした。

「それもこれも全部夏だからやーー!」
「せやせや」

そう叫んで火傷しそうなほど熱くなったコートに向かって走った。空は相変わらず快晴だ。厳しい日差しは容赦なく俺たちを焼くがそれすらも嬉しいと思ってしまうから、俺はMに目覚めてしまったのかもしれん。それでも横に白石がいるならそれでもいいと思った。一緒にこの夏を過ごせることが何よりも最高っちゅー話なんや。